brogmymxo’s diary

大学生なのに特別大学で楽しいことが一つもない。虐待と男子校病のせいにしてみる。 

発見学習は実験以外においてゴミ

課題を発見させるって言うのが分からんのよな。 課題を揃えたあとに、議論や発展させるのに価値があるのでは?と思うけど。 自分で見つけた課題ならやる気がでるっていう論理自体に疑問が残る。


集団で活動する上での様々な困難を乗り越えるためには何が必要になるのかを理
解すること。集団でなくては成し遂げられないことや集団で行うからこそ得られる
達成感があることを理解することなど,集団と個との関係について理解すること。
また,集団活動の意義が社会の中で果たしている役割や意義,人間としての在り方
や生き方との関連で集団活動の価値を理解すること。

この内容は,ホームルームや学校内にとどまらず,より広い意味での人間関係の在
り方を考え,様々な集団の中での人間関係をよりよく形成していくことができるよう
にするものである。自己の個性を見つめ,それを大切にしていくことは,自己肯定感
を高め,自己の確立や自己実現を図るための基盤となる。また,他者の個性を理解し
互いに尊重し合うことは,自己理解を一層深めるとともに,豊かな人間関係を育んで
いくことにつながる。
この内容において育成を目指す資質・能力については,例えば,学校生活や社会生
活において互いを尊重し合うことが重要であることを理解し,自己の個性を肯定的に
捉え,自他のよさや可能性に気付き,それらを生かして協力し合える人間関係を築く
ことができるようになることが考えられる。また,そうした過程を通して,他者への
思いやりを深め,共に生きる人間として豊かに成長しようとする態度を育てることも
考えられる。
そのためには,自分の個性をよく知り,自己を高めようとする努力が大切であるこ
とを理解するとともに,他者の個性を尊重することを通して,他者への思いやりを深
めることが,集団生活では重要であることを理解させる必要がある。
自己の個性を総合的に捉え,将来在るべき姿を思い描き,それに向けて努力するこ
とが重要であり,自他のよさを認め合い,互いを尊重し協働することを通して,より
よい人間関係が築かれる。他者に認められる体験が,自己肯定感を高めるとともに,
自己確立や自己実現の基盤となる資質・能力を身に付けることになる。
また,自己理解を一層深めるとともに,多様な他者のよさを見付け,豊かな人間関
係を育て,共に将来の夢や希望をもって生きていこうとする態度の育成が望まれる。
具体的な活動には,よりよい人間関係の在り方,豊かな人間関係づくりと自己の成
長,自己表現とコミュニケーション能力などの題材を設定し,体験発表を取り入れた
話合い,自己表現力やコミュニケーション能力を高める体験的な活動,ホームルーム
成員相互の理解を深める活動など,様々な展開の工夫が考えられる。また,入学直後
やホームルーム編成替えなどにより新たな人間関係を築くことが求められる時期に
は,自分の長所・短所,友人への期待と励まし,自他の個性を知りそれを生かす方法
などの題材を設定し,自らを振り返ると同時にグループやホームルーム全体で話し合
う活動などが考えられる。

 

 

マジでずっとホンマか?て言ってる 俺開成で棒倒しちゃんとやって、あんまり連帯感を得られなかった人間だぞ。

結局俺が求めているものって暖かな関心が向けられている場所で自分の気持ちを受け止めてほしいだけなんだけど、誰もそれをしてくれないので本当につらい気持ちになっています。

たまに、そういうひともいるんだけど、たまにしかなくて、どうやってそういうものを得ていけばいいのか全く分からない。

で、普通の人はどうやっているかというと、家庭、サークル、バイトその他の人間関係なんだけど、それはどれも俺の特性上ずっと厳しくて、望んでいるものはずっと手に入らないのだなぁと強く思う。

これからずっと諦め続けないといけないのかと思うと、気が滅入る。 もうやっていけないと思う。 

で、もう一つの悩みが、一人でコツコツやっていけばいいじゃんっていう回答に対し個人としての強さと同時に、集団としての強さを得ている人が、どちらも相乗的に強くなっている状況を見ていると、どう考えても人間の強みは支えあっている集団としてのあり方であって、一人でいる事ではないと思う。それをあきらめて、生きていくっていうのはあり方として不自然だと思う。 結局俺は、特別活動の時間のベクトルからの生き方のとらえ方と、探究活動の時間からのベクトルの生き方のとらえ方 両方が重要であると思っていて、でも、おれは特性上そのバランスが乱れていて、生きていくうえで本当に何かが欠けているような気持ちがついて回っていて生きているのつらい。

逆に特活側が強すぎる人からの意見として、何かを極められないとか、自分で疑問を見つけることが出来ないって言っている。 そちら側からのアプローチが欠けていても人生がつらいのかもしれない。でも、俺は自己実現が出来過ぎている分、自己実現側で困ったことが全くない。他の人は自分の選択で、選ばなかった方が消えたみたいに言ってるんだけど、それは傲慢であって、人の価値ある選択っていうのは社会と特性と運気から決まる常に一つのものなんだというエグ過ぎる達観に到達してしまっているし、生きているだけで自己実現みたいな領域である。

常に自分の能力意欲に対して 環境、流れがあって、そことの接点を意識していれば本当に必要なものは自然と手に入ってくる。

 

最近読字に対しての苦手意識が薄れてきたのが本当に素晴らしいことだと思う。この前なんて、プログラミングの授業で読字がかなり必要になった時、周りが、自分より5倍くらい早く終わっていたし、自分自身もかなり体調不良気味になっていたけれども、別にやるからいいしくらいのメンタルで居続けることが出来た。 やっぱりその点での電験3種での経験が生きている。個人学習で、動画資料を沢山活用したりしたものの、文字ベースで学習して初めて上手くいった気がする。 よくわからないけど、やればできるけど、辛いからやらないと、辛いし頑張ってもできるかわからないものが経験として違う事が分かってきて、今の状態は前者なんじゃないかという自信をつけることが出来ていた。

今考えているのは、集団に所属することによって、居心地のよさとか生きやすさを集団に提供してもらってるという意識が必要なのかもしれない。誰かに教わるみたいな関係は常に1対1でしかも流れ込んでくるし、定量化できてしまうし、個人と個人の関係でもよくないかと思えちゃうものなんだよな。 でも集団で飯に行くとか、別にやりたくないことにcontributeすることで、集団でしか得られないものを得るということになるのかもしれない。おれだって合奏は感動するし、団体戦のスポーツ(得意ではないけど)も卓が立つという個人では不可能な意味があると思う。 集団っていうのが本当に怖い何もわからないし連帯感とかが大事なのかなぁ?

今日は眠剤なしで寝てみようと思って本当に寝れないし、辛くて、精神科にアクセスできなかった俺の高校時代って本当につらかったんだなって思った。

俺が嫌なのって、「そんなに?」って言われることなんだけど、そんな熱意がなかったら喋らないよって思っちゃう

 

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