わざと間違える相手に対して、電気による罰を与える実験(実際は電気が流れていない。)
先生が「続けてください」と言った場合は63%が450ボルトまでボタンを押した
自由に設定させられるとと、ほとんどの人が150V以下までにした。
いじめが発生してから考えるのは、臨床医学で消極的生徒指導
いじめが発生しない土壌づくりは、予防医学で積極的生徒指導
積極的生徒指導で効果的な方法は、グループエンカウンターと、集団意思決定法
集団意思決定法というのに、コミットメントと一貫性と言うのがある。
自分の決めたことや立場を明確にすることをコミットメントという。 コミットメントした態度を一貫しようという性質がある。
私が授業を受けた感想としては、コミットメントが出来ると大学でうまくいくのになと思う事が良くある。 コミットメントが出来れば自分のすべき態度がわかるし、自分が着るべき服も分かるし、自分が付き合うべき人もわかる。しっかり定まっている人は、私が普段感じる悩む苦しみや相手に自分をどう見せていいのかわからないという事を、あまり感じないだろう。コミットメントをしていないときは、人によって自分の立場を変えることが出来たり弾力性のあるかかわりを相手にすることが出来る。
しかし、弾力性のある人付き合いというのは、1対1以外では複雑系になってしまって難しいし、1対多が多くある大学コミュニティではそのような煮え切らない態度をとっていると、「よくわからない人」というのになりがちである。
しかし、私は、コミットメントできるような態度を見つけられていない。 また、コミットメントをできていない煮え切らない態度では、相手も私を捉えることが出来ない。 捉えられない人には、優しくしようとは思わない。 人間の相手への優しさは好感度ではなく、熟知度の高さで決定される。
例えば私は、大学で「ライター面」をしている連中の100倍はブログに文章を登校しているけれども、「ライター面」はできない。何故なら、自分がライターであるという態度は、自分が最も得意なことでもないし、人にコミットメントして、相手からの欲求に応えられると思わないからである。
成人犯罪は、古典的非行者は断続的にやるけど、現代的非行は成人になって辞める。
また、成人犯罪率は常に一定である。だから、非行が増えているときは、現代的非行が増えているときである。←これ神の理論だろ
欲求の満足が阻止されたフラストレーションの状況で、欲求が満足できないと、防衛機制というものを発動する。 そのなかには、学業が振るわない高校生が暴走行為を頑張る。つまり、劣等感、弱みを感じた場合、それに代わる得意なことをことさら努力し、それによって得られる優越感、満足感によって劣等感をカバーしようとすることである。
これを聞いた感想としては、俺が大学生活でうまくいかなくて電験3種受験に対する覚悟が補償で強まったかもしれないと思った。 でも補償でがんばることは防衛機制の中でも自分は恥ずかしいと思った。何故なら自分の弱みベースで考えているからである。 逆に、防衛機制として美しいものは、昇華だけなんじゃないかと考えるようになった。何故なら社会的に認められないものを逆に強みに変換しているからだ。 弱みを推して何かをやることというのは広がりがないからなぁ。
