Behind Coleus

大学生なのに特別大学で楽しいことが一 つもない。虐待と男子校病のせいにしてみる。→日本脱出しました 今ジャカルタにいます。→ジャカルタから帰ってきました。

女性体験ベースで人生を語る

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高校生の頃家族はあれていたと思う。
両親の関係は完全に冷え切っていたんだ。有名なエピソードがある。母親が父親に料理を全くしないと怒っていた時の話だ。父親がトマト煮込み料理を作った時、私がおいしいねと言ったら、トマト缶2個も使ってる!っと小声で怒り出したんだ。トマト缶なんてたったの100円、でも嫌いな人が浪費する100円は怒りや不信感に値するもの。こんな風に母親は父親のことを関係性で虐待していたんだ。なお、父は親としては本当にクズで私のことを何も知らないような父だったんだ。当然そのあと離婚したよ離婚直前は、皿が毎週割れて、落ち着いて過ごせる家ではなかったね。
母親の人間性の不足を人生の仲で実感を持って感じるなか、それを誰も問題にせず、父親ばかり虐待され、世論を探しても、ヒステリーに怯えて生きる父を擁護するコメントが無いことに社会的な絶望感を感じ、ミソジニーに陥ってしまっていたんだ。
それには私が男子校出身で女性の友人がいないことも影響したと思う。

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大学1年生の頃は、女性らしい恰好をしている人とかを見て怯えていた記憶がある。

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女性との人間関係に困っていたんだ。ちょっと女性らしかったり、容姿端麗な人と会うと「俺のような人が一緒にいていいんだろうか」と思うくらいにはいろいろ縛られていた。そして、共感を求めるような姿勢とか女性らしい考え方とかが出てきたときに、それ自体に不快感を覚えたりした。私の母親の愚痴が出てきそうになるくらいには、がんじがらめになっていた。その愚痴は言う事はなかったけど、勿論女性と二人で一緒にいようとか、話そうとか思う事も出来なかった。本当に何かを話そうとしてもできなかったんだ。

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でも一つだけいい事があったんだ。それまで他人のこと可愛いと思ったことはなかったんだけど、クラスに本当に完ぺきな顔のパーツ配置で肌も白くて、頬も張りがあって、兎に角可愛い女の子が一人いたんだ。クラスが終わって帰ってから、自分の部屋で「かわいいかわいい」ってずっと連呼しないと耐えられないほどに。でも、しゃべれないから、眺めていただけなんだけどね。
そこから、一人だけでも好きになれた経験から少しずつ女性への興味や関心を持てるようになったんだ。 すごく怖かったり不快感を覚えていたアイドルの動画とかも楽しんで見れるようになったんだ。

ちょっと話は脱線しちゃうんだけど、私は、他の人が作ったものから、その人が作った時の意志を読み取ることが出来るのね。で、その女の子とたまたま至近距離になった時、メイクを近くで見たら「彼氏いる」って直観的にわかっちゃったんだ。だから、私は、遠くで眺めて、勝手に相手に彼氏がいると気付いて、本人に確認して、フラれて。そのあと連絡を取らなかったんだ。これを見ても、自分の人間関係が当時如何に自分の中で閉じていることのエピソードだね。 統合失調症陰性症状も治ってなかったから、相当悲しい人間関係への向き合い方だったと思う。

大学の人と付き合ってたみたいだから、もっと早くアプローチしてればチャンスはあったかもねー って、絶対無理だよ。虐待親から離れてようやく一息ついて 自分の生き方を探ってた時期にそれは無理。チャンスゼロパーセント。もっと陰性症状も重かったし。 私にとってそんな時期だったのに、同じ年代でアプローチが出来た彼氏の男は凄いよ。 ただ、虐待もされてなくて、超美人の彼氏になれるような人と人生交換したいって思っちゃうかもね。

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大学2年生の年になったらまた、ひとめぼれレベルの大事件が起こったんだ。
対面授業がコロナが明けて本格的に始まって、女性を目にする機会が増えたんだ。 そしたら、キレイな髪で毎日結び方を変える人、個性的なネイルをしている人、そういうのを見ることが増えたんだ。そしたら羨ましいみたいな感情が生まれたんだ。また、他のオシャレな人たちを見ると自分の恰好が酷く嫌になったんだ。
また、もう一つあったこととして、大学では高校より学業的な面で劣等感を感じにくく済んだんだ。というのも、男子校には賢くあれみたいな価値観があったんだけど、それから脱出できた気がしたんだ。

話を続けるけど、昔から自分の思考が他人の思考に感じる事が多かったんだ。ただの統合失調症と言われればそれまでなんだけどね。今回はその中でも、一番大きな波だった。完全に女の子が自分を乗っ取ったかのように感じたんだ。具体的には、自分のパソコンの壁紙やレイアウトをその女の子好みに変更したり、今まで絶対しなかったイヤホン自転車をしたり、まるで人が変わったかのように一週間も生活したんだ。この経験は自分にとって女性への興味や自分の中の女性らしさを認めるきかっかけになったと思うんだ。

だいぶ後だけど、ネイルをしてみたり、花柄のスマホケースを買ってみたり、部屋をカラフルにしたり、そういうことを自分が潜在的に思っているかもしれないと思って、自分をいたわるためにしてみたよ。

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次に、あった事件を話すよ。あるクラスの女の子と一緒にご飯に行くことに挑戦したんだ。その人はかなり容姿端麗で一緒にいるだけで気持ちが明るくなって性的にも体調が良くなるような人だったんだ。だけど、その人がかなり自閉症的なコミュニケーションの取り方をする人で、その人は、ただ楽しくおしゃべりしてじゃれたつもりが、私は傷だらけになってしまったんだ。 どういうことかと言うと、私は女性は苦手だったけど、話すのは苦手ではないから、今日あった出来事の話や自炊の話から話を広げていったんだ。そしたら、自炊からとんでもないところに飛んで行ったんだ。というのも、「私、彼氏と同棲してて、彼氏が全部ご飯作っちゃうから、自炊スキルが育たないんだよね。」と言ってきて私が、「別にそれって幸せなことじゃない?」って言ったら、「私女だよ??」とか言ってきました。しかも、その後「最近モテ期来ててさ、昨日も告られちゃったんだよねー」って言われました。
で、私はどういう風に思ったかと言うと、やっぱり自分の人生は全て間違っているという風に思っていたから、そういう言い方に対して、文句をつけることもなく悲しみながらただ聞いていたんだ。というより、私は反応が鈍いから次の日の夜あたりにあの人酷いな。しかも、私が孤独であるとその前の会話で伝えていたのに、、、と思ってしまいました。そして、自分は彼女はおろか友達もいないので、あなたと会う時間すら貴重な外界との接触なのに、と思って自分の人生が間違っている、そして自分は醜い男性で虐待されるような人生が呪われているからだめなんだ。と深く落ち込みました。 でも実は同時に、劣等感を抱くような存在が身近にいて、頑張ろうとも思えたのは秘密です。やっぱり女性への劣等感と言うのが強かったです。

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ただ、この年の下半期は相当きつかったんだ。とくに授業であった皆で実験をする授業がキツかったんだ。同席したクラスの女の子の大半は挨拶や雑談をするどころかちょっと遠くから一瞥して睨んで来たし、男子ですら何か余所余所しかった。だから、一緒に実験をしているのに全く心が休まらなかったんだ。私は、なにかコミュニケーションをしてもらえることを期待して、情報をまとめたノートをグループチャットに流したり、一人だけ負荷の高い被検体に名乗り出たりしたんだ。でも結果は全×。誰一人私に友好的に話しかけてきたりする人がいなかったんだ。 このセメスターでは大学に行くだけで手汗が止まらなくなってしまって、授業中手を見ると、お風呂に入った後の様にシワシワになっていたことを覚えているよ。 ほかの人は、サークルなどに居場所があったのかもしれないけど、この時は自分は存在しないかのように感じたよ。実際風邪をひいても誰も知らなかったというようなこともあったんだ。 だれにも頼れないし、誰にも好かれないと思ったんだ。

また、転機となった日があったんだ。それは私が誕生日前日だった日たまたま、女性との約束が連続していたんだ。昼間に、クラスの超真面目でかなりキレイで謙虚な子と一緒にカフェにいったんだ。そこでは、自分を労わるようなことを沢山言ってもらえたんだ。でも、私にはどれもが受けとめ切れるものではなかったんだ。 と言うのも、私とのおしゃべりで、私が気になっていたものの話題をわざわざ出してくれたことがあった。悪い気分ではなかったけど、表面上のやりとりで私と仲良くする気は本当はないんだろうなというブロックをかけてたことを覚えている。2/16追記今思うと、この会話から1年以上喋っていないので、こういう食事一回で心を許せるはずもないと思う。こういう機会から、継続的な関係に持ち込むのは不可能だと思っていたんだと思う。何故なら私と個人的に関わる以外に居場所があってそこでの活動で忙しそうだったからだ。実際この食事も行こうと言ってから1ヶ月以上あとに予定があってできた事だ。追記終了
ほかにも、1年生の頃同じ宿舎に住んでいたよーという話をしてくれたんだけど、その人は近所さんと一緒に授業を受けたりご飯を食べたりして楽しかったよ。と言っていたけど、私の場合は1年生の頃、同じ学部で同じ建物に住んでいた人は相手から授業を一緒に受けようと言ったのに、何の連絡もなしに飛んだり、同じ建物に住んでいたのに、引っ越す際何の連絡もなしだった。その上、私が放置された郵便物があると伝えたら、何の感謝も無しで十数分待たせて取りに来て、私に遅刻をさせたんだ。
そんな違いを感じて私の人生はこの目の前の上手く行ってる人とは違い、全てが間違っているという諦念を実感させ、これからの大学生活でも難儀がやまず、安心して話せる人は誰もいないんだろうと思ったよ。

でも、この話には続きがあるんだ。少し前に話した、自閉症みたいな話し方の容姿端麗な女の子との予定も入っていたんだ。
今回は凄く変わった体験だったんだ。 まず、さっきの女の子との食事が終わった後、誕生日プレゼントだと思って、セルフネイルをしてみたんだ。 そうするとなんか色々自信が湧いてきたんだ。

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何故か容姿端麗女の子の彼氏の家で麻雀をうちに行くという約束だったんだけど、それを口実にして、彼氏の前でこの前やられたモテ自慢の文句を言うことに成功したんだ。ちなみに彼氏も変わっている人だったから、それを別に何の問題にもしなかったんだ。
ネイルの力だったのかもしれないね。 でも、その女の子相手には何にも伝わってなかったみたいで、モテ自慢や煽りをしないでと言ったのに、明日誕生日だよって言ったら、「誕生日くらい大切な人と一緒に過ごしなよ」と3回も言ってきたんだ。私に彼女がいないのを知っているのにもかかわらずだよ!

真冬の雪が降りしきる中、その女さんは彼氏の部屋に残ってていいのに、私は結構離れた狭くて誰もいない部屋に帰らないといけない。その対比でとても悔しかったんだ。でも、その日の朝5時ケータイを確認したら、奇跡が起きたんだ。人生で初めて女性から遊びと食事の誘いがきていたんだ。しかも、その日程は今日、つまり誕生日にその人との遊びが決まったんだ。 女さんの意地悪は奇妙にも、予言に代わったんだ。
話がだいぶ外れるし、結構時間がかかったから詳細は省くけど、その人との出会いで初めて、女性に気を許したり頼ったりすることに成功したんだ。

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でも、その女性は学外の人で私の住んでいる場所の近くにいつもいるわけではなかった。だから、大学3年生になっても私の身の回りは変わらなかったんだ。特にみじめだった出来事を書くよ。春休みに少し親密になった女の子がいたんだ。そして、その人との食事が私が普段の出来事を話すほぼ唯一の機会になっていたんだ。美人でいい匂いがして優しかったから恋心も芽生えていた。しかし、新学期が始まると、その食事の機会は一切終わってしまう事になった。忙しいと完全にシャットダウンされてしまったんだ。 特に印象深かったのは、愛の告白でもしようかなと思っていた日に、もう新学期には当分会えないと告げられた。私は次の学期に留学を検討していたから、この時期により親密になれなければそれで終わりだった。帰るとき、私は家賃の安い大学の北側の寮に住んでいたが、その人は大学の近くのアパートに住んでいた。だから、その人は歩いて帰れるのに、私は大雨のなかずぶ濡れでバスを待った。15分も遅延して合計30分近く待った。そんな中どうしようもない大学での人間関係に不安が膨らみずぶ濡れの服を自分一人の部屋で片づけた。

言っていなかったけど、結局私の大学生活は、睡眠障害統合失調症陰性症状が蝕んだんだ。散々語って来たように、私が一人でいる間他の人たちは、他の場所にいた。それはサークルだ。サークルには入れなかった。私は虐待の影響か知らないけど、20時30以降に外にいるととてつもない不安とめまいが襲ってきて、とても楽しく外にはいられないんだ。しかもそれは、実家で上手く眠らさしてくれなかった記憶とともによみがえるんだ。 だから、21時以降は兎に角自分の部屋で心を休めたかったんだ。でもそれは、サークルは許してくれなかった。バスケサークルに入ってたけど、夜が遅くて、途中から逆に責めちゃって怒られた。人間関係も出来なかった。
そして、統合失調症の感覚的に、他人と他人が記憶を共有していると錯覚してしまう事が多かったんだ。何人かに嫌われることは誰にでもあると思うんだけど、嫌われた人と仲いい人とも会話が上手くできなかったり、酷い時は、嫌われた人と同じ性別だから上手く話せないこともあったんだ。
大学のクラスでは、皆冷たいし、サークルは夜が無理過ぎて入れない。新しい出会いも制限される。完全に詰んだと思った。誰とも発展しない。誰とも安心できない。誰も私のことを好きにならないと強く思ったんだ。

ただ、ここで諦めるような私でもないんだ。この環境、日本、この大学が自分に合わないんじゃないかという疑念を持っていたし、言語も分からないのに、結構危険な国に単身で行くことは女性には絶対にできないから男性的な自信を取り戻せると思って(女がモテモテ煽りをしてくるので危険な場所に単身で向かう煽りをしようかなと思ったんだ。)、インドネシアに留学することにしたんだ。この選択で、自分の大学人生に足りなかったものをすべて手に入れることが出来たんだ。

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初めて参加したクラスでは女性ばかりだった。うちの学部のデジャブのようで、日本での嫌な気持ちを思い出したのと新天地での疲労や恐怖感も合いまり、凄く不安定な気持ちになったんだ。しかし、ここは日本とは違かったんだ。instagramに投稿したらクラスで一緒した女性からダイレクトメッセージが届き、その人から授業終わりにsoto ayamという私が食べてみたいと言った料理をデリバリーで奢ってくれたんだ。
しかも、instagramのメッセージが日本とは違って沢山続いた。
日本では、誰も私とメッセージを沢山したがらなかった。でも、その人は違った。筑波大学の経験から疑心暗鬼になっていた私は、「どうせ変なやつをからかっているだけだろう」と思い、「そんなに言うなら映画デートに行ってよ」と軽く誘ってみた。答えは「もちろん!」であった。本当に私に興味を持って一緒にいてくれたのだ。

その人だけではなかった。別のクラスでは、日本ではありえないけど、女の子がクラスで話しかけてくれたんだ。その際に、最初は私も、その人の服装や纏うエネルギッシュなオーラを見て、合わないと気付くか私の話にドン引きしたりしていなくなっていくだろうと思ったんだ。
でも、その人は私と関わるためにたくさん努力してくれたんだ。その女の子と沢山チャットしたり、博物館や水族館に二人で行ったんだ。最後にあった日には個人的に手紙までもらえたんだ。

そして、今までたくさん酷い思いをさせられてきて怖かった彼氏持ちの女の子とも仲良くなれたんだ。あーこの人はキレイだけどモテてそうで、自分とは違うんだなと最初は思ったんだ。でも、最初1、2回しかあってない日の夜になんと自分の悩みをチャットで長文で送ってきたんだ。それに回答したりして、深いところで仲良くなれたんだ。そして、その人が私のトラウマについても問題ないと言った。 多分返信が超めんどくさいようなトラウマについてのチャットもしてみたんだ。だけど、全部の要素一つ一つをクリアしたような完璧なチャットを返してくれたんだ。  日本でやられてたことが全部嘘みたいだった。

あまりいい話ではないと思うけど、大和なでしこの美人の方がインドネシア人より断然美しいと思ったけど私にとっては身の回りで仲良くなれなかったから意味がなかったんだ。でも、インドネシア人とは仲良くなれたんだ。
そして、韓国人の女の子、中国人の女の子も私に優しかったんだ。
日本に帰ってきて思うけど、みじめなのは自分のせいじゃないかもと少しだけ思えたかもしれない。ただ、今また結構辛いけどね。

2/16追記

そう言えば、自分の学部の専攻は最初は男子もいたんだけど、現在は名前を読んではいけないレベルのやばい男と私だけが男子であとは女性7〜8人となっており、本当に厳しい状況ではある。私がどんなにポジティブに相手を考えても相手は私に興味はない。こればっかり。