Behind Coleus

大学生なのに特別大学で楽しいことが一 つもない。虐待と男子校病のせいにしてみる。→日本脱出しました 今ジャカルタにいます。→ジャカルタから帰ってきました。→6月19日から小笠原沖で、インドネシア人とメカジキ漁

授業と自学の教材の違い

Q:もしユーモアや世界観を取り入れたドリルが本当に効果的であるならば、学校の授業でもそのような問題を取り入れるはずですよね?でも実際には使われていません。ということは、効果はないのではないでしょうか?

A:
ご疑問、まことにごもっともでございます。確かに、学校の授業におきましては、ユーモアや世界観を盛り込んだ問題はあまり使用されておりません。

これは、一斉授業という形式の特性に起因していると存じます。一斉授業とは、限られた時間の中で多数の生徒が同時に活動し、教師のサポートのもとで進行する学習形態でございます。その最大の利点は、生徒同士で問題を共有し、必要に応じて相談・協働ができる点にあります。これは、文部科学省が提唱する「主体的・対話的で深い学び」を実現する上で重要な要素でございます。

したがって、こうした授業で用いられる教材には、多くの生徒が理解でき、集中して取り組めるような「ニュートラル」で分かりやすい設計が求められます。個人的な経験を申しますと、教育実習前に私は、登場人物をアイドルグループaespaのカリナさんと冬子さんに設定した問題を作成いたしました。しかし、指導教員から「AさんとBさんに変更したほうがよい」とのご指摘を受け、当初は納得がいかない思いがございました。

ところが、実習を終えて振り返ってみますと、その指導の妥当性がよく理解できました。特定のアイドルを知らない生徒にとっては、問題の本質が見えにくくなり、話題性だけが先行して授業の焦点がずれてしまう可能性があるからでございます。すなわち、一斉授業の場においては、「誰でもわかる」「誰でも集中できる」問題構成こそが大切であり、世界観やユーモアを盛り込むことは、むしろ学習の妨げになりうるのです。

一方で、個人が使用するドリルや参考書においては、まったく異なるアプローチが有効です。

個別学習は、授業とは異なり、学習者がひとりで教材と向き合う静的なプロセスでございます。そのため、学習者が自ら進んで取り組みたくなるような工夫が重要となります。嫌いなものに主体的に向き合うのは困難でございますから、教材開発者は、学習者が好意的に受け止められるよう、さまざまな工夫を凝らさねばなりません。

基本的な配慮として、フォントやレイアウト、色調、文体の親しみやすさがございます。さらに、学習者の関心とつながる「世界観」を取り入れることは、学習へのレディネス(準備状態)を整える上で有効であり、学びのきっかけとなるだけでなく、継続する理由ともなり得ます。

もっとも、この効果がすべての学習者に等しく現れるとは限りません。たとえば、MINECRAFTが好きな児童にとっては、MINECRAFTのストーリーが登場する問題文は「面白そう」「自分ごと」と感じられるかもしれません。しかし、関心のない児童にとっては、むしろノイズになる場合もございます。このように、世界観やユーモアは「選択性のある工夫」なのでございます。

しかしながら、「自分に関係がある」と感じた瞬間に、学習者と教材との間には強い心理的なつながりが生まれ、その教材はまるで「語りかけてくる」ような存在となります。そうなれば、静的な個人学習においても、「主体的・対話的で深い学び」は十分に成立するのでございます。

つまり、世界観を取り入れた教材は、一斉授業では使いづらくとも、特定の学習者にとっては、きわめて大きな意味と価値を持ちうるのです。

加えて、文部科学省が重視する「生涯学習のコンピテンス」とは、学習内容を自己の人生と結びつけ、自ら進んで学び続ける力を意味いたします。世界観を通じて「これは自分に関係がある」と感じることは、その第一歩にほかならないと存じます。

したがいまして、学校の一斉授業と個人の自学教材とでは、「主体的・対話的で深い学び」に至るアプローチが異なるのでございます。

一斉授業では共通理解と集団活動を前提とした教材設計が求められ、個人学習では心理的な関係性と選択性を重視した教材が有効となります。両者は対立するものではなく、目的と文脈に応じて、それぞれの学びを支えるものでございます。