Behind Coleus

大学生なのに特別大学で楽しいことが一 つもない。虐待と男子校病のせいにしてみる。→日本脱出しました 今ジャカルタにいます。→ジャカルタから帰ってきました。→6月19日から小笠原沖で、インドネシア人とメカジキ漁

楽しい人生はどう考えても、皆のものではない。

よく、楽しく過ごしてください。と言いますが、それには疑問を感じます。

【楽しい人生】というのは、自分が思ったことが出来るようになる。競争に頑張って勝つ。周りが、助けてくれる。人より贅沢をすると言った人生である。

しかし、私はそれは、皆のものではないと思っている。

たとえば、肢体不自由の子はどんなに頑張っても健常に徒競走で勝てない。なので、徒競走という分野で、【楽しい人生】を切り開くことは不可能である。

土地持ちや資産家を、1世代で経済的・精神的に打ち負かすのは戦争でもない限り不可能である。貧乏生まれの人は、経済の分野で【楽しい人生】を切り開くことは不可能である。

そして、深い影が落ちた人格の子、愛着障害はどんなに頑張っても、明るい人格の子、人懐っこい人には、コミュニケーションで勝てない。そういう人は、コミュニケーションの分野で【楽しい人生】を切り開くことは非常に難しい。

そこで、どうすればいいかというと、価値を【楽しい人生】から、【面白い人生】にシフトチェンジするのだ。

一番大事なことは、先に上げたような「分際」の越境を前提としないことだ。

「分際」というのは、簡単だ。生まれつき最大値は決定論的に決まっているという事を意味する。そこらへんのオッサンは逆立ちしても大谷翔平にはなれない。障害者は徒競走で健常に勝てない。そういったことだ。そういう事ばかりを見ていては、話にならない。

しかし、【面白い人生】はどうだ。その、自分にあるいくつもの「分際」を見つめて、まだ人類未踏の「分際」の縁を見つけていく。結果論的に、見えてくる、「分際」で終わる・諦めるのではなく、自分の「分際」をベースに世界を捉えていく、インナーネットを形成していく、そこから発進して活動をしていく事が【面白い人生】なのではないかと思っている。

つまり、あこがれているものになれると楽しい人生、ほしい物が努力すれば手に入るのが【楽しい人生】。

しかし、手に入らないこと、努力しても手に入らないことから、見えてきた「分際」をベースに妥協せずに、活動していく事こそが【面白い人生】

【面白い人生】は競争に勝てなくてもいいから、人生に意味を求めるか、余命が5年以内でなければ、皆のものであると思う。

楽しく生きようよ、って言うなら、俺の横で1週間くらいじっと俺と一緒に時間を過ごしてみろ!