この前話していた「力の戯れ」とは、カントの一説
認識諸能力の戯れにおける自発性は、自然の合目的性という前述の概念を、その帰結において自然概念の領域と自由概念とを結合する媒介として役立つものにする。
に由来すると思う。
一番難しい言葉である 認識諸能力の戯れ は基本的には
「美しさは物そのものの性質ではなく、人間の認識能力の状態にある」
という事である。というのも、心地よいものというのは、そのものを分析して受け止めたことで心地よく感じているのではなく頭の中の認識能力が遊ぶように動いているという状態が心地よい、美的なものであるということだ。
例えば、名画の美しさについては、この色遣いがいいね、この筆致がいいね、などと分析的に示して受け止めることは難しい。なんか圧力がある、なんか緊張感を感じるというような、脳の状態に美しさがある。というのが、認識諸能力の戯れについての説明だ。
引用した一説は、難しい言葉が多くあるが、美学こそが、岩山などの意思のない自然と主体性のある自由概念との二項対立を結ぶ媒介になる。と言っている。
東洋思想で言うと人間は、陰と陽を両方持っている存在であり、美を感じる人間の状態が、主体性のある精神(陽)と、自然(陰)を結び付けているということ。を言っている。陰陽論の基本である。
ただ、西洋哲学は科学と自由意志を対立させて、厳密に論理として考えていたから、この指摘が価値の高いものとして、扱われていたのであろう。
話していた彼が、私に「君の人生には力の戯れがある。」と言ったのは、最大限の誉め言葉であったのであろう。というのも、文脈としてはこうだ。私のキャリアはエリート階級であった場面、高校に学費免除で通っていた場面。男子校で、カードゲームをしていた場面、女子に囲まれて、異質なものとして、扱われた場面、大学を出て教員免許を取った場面、インドネシア人とマグロ船に乗るという予定された場面がある。メンヘラ女子みたいな場面があり、それと同時に、マッチョイズムを持つ場面もある。
それらの場面一つ一つを分析して受け止めることは難しく、全体としては感じるものがある。ということであった。