進むべき道というのは、「一泡吹かせられる」道ではない。「その道の覇王になれる」道である。
苦手な特性を持ったり、相性の悪い特性を持って、その道を歩むと、先の先までは見えてこない。
例えば、弱視なのに、絵を描く道に行ったら、数十年かけて「弱視ならではの美」にたどり着けるかもしれないが、画業全体が輝かしい物にはならないだろう。
そして、覇王になれる道というのは、向き合うだけで、他の人が見えない視野が開き、頂きを目指せるという道だ。
例えば、音楽を聴くだけで、もっとうまくやれるわ、と思えて、それを行える巧緻性や技術があれば、どんどん先を目指せる。作家人生全体が輝かしいものになる。
人との折衝をすることが楽しい人が、政治家を目指せば、先に行けるだろう。
しかし、それが苦手な人が、政治家を目指せば、人生全体で色んな好条件が重なり当選1回とかだろう。
学校教育では画一的な価値観で教育が行われ、「一泡吹かす」ことを夢見せがちである。なぜなら、苦手な事をやらせる、当然やるという価値観があり、その固定概念にいる間、苦手なことをやらされ続ける。そこで見える視野のうち結果が一番いいのが、努力を続けて「一泡吹かす」になってしまうからだ。それじゃだめ。「すべてを過去にする」くらいの勢いで望める道を自分で見つけないといけない。
なぜ、「一泡吹かす」を批判するかというと、一泡吹かすことに浪費されて消耗した人生というのは、概観すると、大きなことは出来ていないと思えるからだ。
それよりかは、他の分野ですべてを過去にするすごい活躍をしていたほうが良かっただろう。個性の伸長という点において、優れているだろうと思うのだ。