brogmymxo’s diary

大学生なのに特別大学で楽しいことが一つもない。虐待と男子校病のせいにしてみる。 

大学が楽しくない理由3

昨年11月頃、

大学いく度左手から汗が止まらなくなり、1時間が終わるころには、お風呂上りみたいな手になってた。それは何故か。


特に大学にいる間でだれかと話せないことにすごく不安を感じていた。 客観的には、普通に週1くらいでしか人としゃべってなかった。 クラスで話しかけられることはあっても、普段抱えてる気持ちとかを話す様な機会が一切なくものすごく不安が高まってしまった。(授業の内容についての感想をクラスメイトの誰かと話すことは、結局半期を通してなかった。)サークルに入ってなかったので、ずっと一人で食事をしていて、とくに集中授業の日(土日の大コマ授業)終わった後が寂しかった。また、学部の人は、絶妙に「嫌ったり、厳しくしたり、という事ではないけれど、打ち解けたりという事はない。」という微妙に期待はかけるものの、全くかなわないという非常につらい距離感になっている。



まず当然の突っ込みに回答していく。

Q家族は??

父親:モラハラ セクハラ パワハラ 仕事命の家庭的にクズ 
母親:奨学金関連の書類をビリビリに破くようなヒステリーで、諸々のセンスが壊滅していて、人の話を聞かない。
兄貴:だいぶADHDで、何を言ってるのかよくわからない。 父の連絡先はオールブロックしていて、母親とは出来るだけ関わりたくない。兄貴はそもそも会話が成立しない。 終了。 金銭的なつながりについて
父親は一切の金銭的援助を入れてない離婚していて養育費も振り込んでいない。
母親からは年50万の学費を払ってもらったうえで、年3~40万円相当の金銭及び、物品を受け取っている。 
兄は母親の家に月10万円いれているらしい。

Qサークル入れよ

授業後夜の活動に参加できない理由があり、それに加えて、サークルに参加できない理由がある。大学の授業がない間は週1程度バスケットボールのサークルに行っていました。
Qバイトしろよ
後述の理由で授業後のバイトも参加できません。

Q彼女は?
今はいません。
Q研究室は?
入ろうと思った所が、今年教授退官の所で、それ以外は今すぐやりたいことがない。学部生が入る一般的な学年は3年だ。
Q単位は?
まぁ落単はしない程度です。2年修了時で92単位です。

表層的な問題は、大学で仲のいい友達がいないことである。それには、間違いなく深層に問題があるからであると考える。何故なら、モテることはめったにないけれども、皆に嫌われるようなこともしていないし、人格破綻してて他の人を攻撃しているなどといったことは、主観的には少なくともなく、話した相手からは好印象をもったと伝えてくれる人もいるくらいだ。客観的事実として、クラスの人からLINEが飛んできて授業の質問とかが来たりすることも何回かあったし、相手が他の人の愚痴を聞かせてくれたこともあるくらいだ。つまり、全員には嫌われていないのである。だから、打ち解けるような友達が一人も出来ないという事は相手が私を嫌っているというより、私が相手を拒絶しているように思える。だから、必ず根本的な問題があるのである。

 

早速一番の問題に切り込もうと思う。 それは、虐待のPTSDとそれに伴う睡眠障害と、強迫観念。また、それらを増長する自分の性格である。 具体的にはどういう事かというと、夜21時以降になって、眠気が増してくると虐待やトラウマなどの自分の昏い部分が大きくなっていって、相手の悪気ない一言で傷ついたり、愚痴ばかりになってしまう。仲の凄い良い人や許容度の高い感じの集団でもない限り一緒にいられない。凄い不安に襲われて他の人と一緒にいられなくなる。と思う。 また、それが怖いので睡眠に困難が発生したり、絶対に21時前には食事や家事を終了させていつでも寝られるように準備しておかなければならない。と考えてしまう事が多い。

これによって、21時に全部が終わってる見通しが立たない放課後のバイトサークルは基本駄目だし、飲み会もだめである。なので、大学での人間関係形成にサークルやバイトを利用することが難しいのである。それに加えて、大学の学部の授業は 特別支援教育であり、7~8割いる女性とは、親密な関係を築くことは非常に難しい。そして、男子は俺以外に二人しかいないが、一人はクチャラーで、約束を守らない、SNSに成果ではなく、やろうとしているものばっかり書く本物のクズで、もう一人は悪くないけど、俺とはすれ違ってしまう性格で話しても「もしかして人間に興味ない?」って感じになってしまって盛り上がらないから実質的に男子は一人である(別に嫌いとかハブられてるってことではなく、単純に交わりがないタイプの人っているでしょ!)。

 

それに加えて重度の男子校病である。少人数という条件が入るものの、女性と一緒にいるのが楽しいと思うタイプの男子なのに、6年男子校で一切同年代の異性とのかかわりがない中、母子家庭で虐待されていたとなると、ミソジニーにもなるし、女性に反発したり親密になったりするのに非常に恐怖感を感じてしまう。そして、一般的な男子校病の作用として、自分の着飾り方は分からない。自分の現実の生活を楽にするためのウソや欺瞞をできない。男女の駆け引き的なことが分からない。そこら辺のことがめっぽう弱い。

 

ここまでは2023年12月時点でたどり着いていた結論である。

最近気付いたのが、これに拍車をかけていた自罰的な自分の性格である。
具体的に書くと例えば、物理的虐待をボコボコに受けて大学受験どころじゃなかった友達が、大学に受からず、私だけスルッと抜けてしまったことにより、「運だけで受かった俺が大学を本当に楽しんでいいのだろうか?」と思って、遊びだけの用事にはほとんど行かなかった。

もう一つ例を挙げると、個人的に仲良くなった人物が大学では男女問わず複数人居たのだが、そういう人と頻繁に会う事は避けて連絡を取ったり食事をするのは割と無自覚に月1くらいにしていた。自分は昔から人と頻繁に会うと、高確率でその人の悪いところが見えてきてしまう、だから相手も頻繁に連絡を取ったりしたら、自分も嫌われてしまうだろうという感覚があった。 また、用もないのに人と何回も会うのは、「遊び」になってしまうのではないかという意図もあったと思う。

また、高校では、家計急変による奨学金の取得や、大学でも貸与奨学金をもらっている、倍率が4倍もある難関大学に「受かってしまった」以上、稼ぐことや授業態度へのプレッシャーが大きくなった。体験に行ってみたサークルで、無料で子供に教えるというボランティアのサークルには自分はやるべきではないと思った。 また、具体的には覚えていないが、労働をさせられるうえに、賃金も出ないというようなお友達サークルには入れないとは思った。また、授業で単位を取らないといけなかったので深夜まで麻雀をやってるような友達には付き合うことが出来なかった。

  1. 自己反省:クライアントは自身の経験や運命について深く考え、自己分析を行っています。友人の困難な状況と自分の成功を比較し、その不公平さに対して罪悪感を感じているようです。

  2. 社交性の制限:クライアントは人との頻繁な交流を避け、月に一度程度のコミュニケーションを好む傾向があります。これは、他人の欠点を見つけやすいという自覚、または他人に自分の欠点を見られることへの恐れから来ている可能性があります。

  3. 責任感:クライアントは家計の急変や奨学金の必要性に直面し、経済的な責任を感じています。難関大学への合格は、さらに稼ぐことへのプレッシャーを増加させているようです。

  4. 実用主義:クライアントは時間や労力を無駄にしたくないという考えを持っており、賃金のないボランティア活動には参加しないという決断をしています。

chat GPTより引用

ようするに性格が終わっていて、大学で友人を作るのに自ら制限をかけて自分でつらいとか言ってるダメ人間という事である。 

ここまでが、2023年度でたどり着けた自分の問題点である。

ここでは、ある程度解決した問題しか書いていない。何故なら、
今までどういう時系列で問題を解決していったのかある程度整理しよう。

2022年4月入学
同年6月当然やりたいことができそうなサークルはないので、同人サークルMXO制作委員会を結成

同年11月精神科の通院に成功し、睡眠障害薬物療法によるある程度の活動が可能になる。
同年12月 著作権というシステムに反逆した同人誌『sampling cubes』を頒布した。 
2023年1月上記の同人誌の効果か知らないが、ミソジニーが一定程度改善し、その瞬間に連絡をとった異性と月一ペースではあるが仲良くなった。
また、学部外の友人も出来る。

同年2月大学がない間バイトに成功し、「就労がそもそも不可能なのではないか」という不安は改善された。

同年3月やることがないとカードゲーマーのおっちゃんに相談したら、第3種電気主任技術者検定を受けることをお勧めされグダグダと勉強を始める。

同年6月ミソが治ってから好きだったクラスの女性に好意を表明したが、付き合っている人がいると断られる。失敗したかったので良かった。

ジェンダー論がさらに一歩進んだ気がした。

同年8月音楽アルバム『Gel Window Clings』をプレリリース 父親と絶縁を決める。
同年12月 非常に非常に苦しい大学生活をお送りながらも、落単なしで、終了。↑音楽アルバムをリリース 

2024年1月 父親のLINEをブロックし着拒した。 自動車免許合宿に行き、免許を取得。成人式に行って、小学校では意外と打ち解けてた人が多かったんだなぁと思った。

同年2月 電験3種の勉強に余裕が出てきたと同時に、大学の友達と月1以上のペースで会えるようになる。WADADAの先輩と出会う。

同年3月 電験3種合格(見込み)と、虐待されていた友人の合格の知らせを受けだいぶ気が楽になる。(注電験3種は持っていればそれだけで就職が出来、実務経験3年で個人事業主になれば、年商2000万円を目指せるような資格である。)


このように、2年かけて、生きにくくなる原因の問題を一つ一つ問題を解決していって、解決された問題を上に記していっていたのです。人の問題というのは、解決と問題の把握が同時なことが多いのでこういう構成になってしまうのです。




brogmymxo.hatenablog.com
2か月ぶりにまともに文章を書いたので 一日ずつ戻ってもまともな文章がありません。
私の文章を読みたい人は上の文を読んでください。