人間の可能性を感じられると非常にうれしいので、「学力的に非常に厳しいクラスであるが...意外に解けるとの感想を引き出すことができた」の部分を消費して号泣してる。 一番感動。
おとといの夜から昨日の昼にかけてガチ鬱だったんだけど、肉体から正のエネルギーを賜りすべて解決した。メンヘラに必要なのは健康な肉体
俺の中で、個人同士の会話において、個人の特性そのものについて話すことは寒いという価値観があった。というのも、「障害でこういう症状があります」というのに共感や反応を行うことは人格や困り感そのものの否定につながりやすく話の広げようがなく一切の双方向性を有しえないからである。この場合必要なのは、具体的な課題についての相談や面白話としてエピソードトーク化しておく必要がある。それならば双方向性が発生するからである。 例を変えると「私って美人だからモテて困る」という会話に双方向性は存在しないが、「私は美人でたくさん告白されて現在3股中なんだよね」という会話には双方向性がある。特性がまずあって、そこであなたはどういう適応をしたのかは価値があるのだけれど
これは会話についての話なんだけど、情報発信インフルエンサーやデモ隊についてはまた異なるようだ。 「私みたいな人が存在します!!」と言うだけでも意味があるらしい。なぜかと言うとインフルエンサーの立場の人がみんなに見えることそのものに社会的意義があるかららしい。これは大学生になってから初めて分かった。
Shattered Glass nails DIY: https://youtu.be/riHS7CTPAJM
6限ファック大学ファック学類
ヘルプを求めることもできない。